ソーシャルでよく云われる「共感」とはなんぞや?

ソーシャルメディアマーケティングで、拡散やユーザーへ響くためのコツとして挙げられる「共感」というワード、めっちゃくちゃ胡散臭いですよね。

今回はこの点を少し掘り下げていけたらと思います。

そもそも共感とは?

Wikipediaによると「他者と喜怒哀楽の感情を共有すること」だそうです。

この「共感」という言葉、心理学の分野で主に研究されているのですが、心理学では「共感」という言葉ではなく「共感性」という言葉で研究されているようです。

さらに、共感性の考え方(次元)が何パターンかあるとのことなので、登張(2000)を参考にご紹介したいと思います。

共感性の4次元

登張(2000)は、ネットに落ちていた日本パーソナリティ心理学会発行の「性格心理学研究」というジャーナルに掲載されていた展望記事です。

これを読んでみたところ、共感性には認知的要素と感情的要素があり、そして4次元があるということが書いてありました。

この4次元とはすなわち「共感的関心」「個人的苦痛」「視点取得」「ファンタジー」です。

それぞれ記事に書かれていた言葉を要約しながらみたいと思います。

個人的苦痛

個人的苦痛は「緊張する対人的状況での個人的な不安や動揺など自己志向の気持ち」と定義されます。

例えば苦しい思いをしている誰かを見たとき、「やべえ、どうしよう、なんかしなきゃ」みたいに、何か自分がやらなくちゃという感情が伴うような共感性のことです。

個人的には「やべえ」と思って「なんとかしなくちゃいけない」と思うだけのステージかな、という理解です。

共感的関心

共感的関心は「不運な他者への同情や関心という他者志向の気持ち」と定義されています。

要は「他者の苦痛を自分のことのように感じて、できればそれを軽減してあげたいと思う気持ち」と理解していればOKだと思います。

個人的苦痛「やべえ、なんとかしなきゃ」から一歩進んで、「どうすればこの人を楽にできるだろうか」と思うことが、共感的関心であると理解してます。

視点取得

視点取得は「他者の心理的視点を採用すること」と定義されており、役割取得とも言うそうです。

これには自分が他者の立場にいると想像するという「認知的行為」が含まれているとされています。

要は「他者の感情を想像したり認知したりすること」で、共感性の認知的要素である。また状態共感も関係してるかも。

個人的苦痛「やべえどうしよう」から共感的関心「どうすればこの人を楽にできるだろうか」を経て、「じゃあどうすればこの苦痛を軽減できるか」を考えた結果のひとつのフェーズ・答えが「視点取得」なのではと思います。

ファンタジー

前述の「視点取得」に似ているのですが、第四の次元である「ファンタジー」は、「本や映画や演劇の架空の人物の気持ちや行動のなかに自分自身が想像的に移行する傾向」と定義されます。空想、想像性、想像力とも同義とありました。

視点取得では「どう感じているのかを正確に想像しようとすること」であるのに対して、ファンジーは「自分が他者になったかのように想像すること」です。
これが違う次元だと心理学は考えている点とのこと。

ソーシャルでいう「共感」とはどの次元なのか

なるほど、なるほど。共感という言葉は、共感性という単語で心理学の分野で研究され、多次元的視点が用いられている。

共感性は主に4次元で考えられてており、それは上で述べたとおり。

だとすると、ソーシャルやってる人々が一緒くたにして言う「共感」を少し分けて考えられそうですね。

ではさっそく、個人と企業アカウントと不特定多数のそれぞれの組み合わせ間の共感について、共感の4次元にあてはめて考えてみましょう。

個人⇄不特定多数

とあるツイートがバズるときありますよね。このときひとつフックになるのが「個人的苦痛」や「ファンタジー」ではないかと思います。

今日もDVについてのツイートがバズってましたが、これも個人的苦痛で「やべえ、どうしたらいいかわからんがとりあえずRT」となったのではないでしょうか。
また、現実で観察した人間模様をその人独自の想像力でツイートにしたのがバズるのは共感次元のひとつである「ファンタジー」だからではないかと思います。

個人⇄個人

個人レベルでは、ライトなコミュニケーションであっても十分感情が伝わりやすいです。

そもそもTwitterにはそういう空気感があるので、「個人的苦痛」な共感で十分深いコミュニケーションが取ることが可能なんです。

企業アカウント⇄エンドユーザー

個人⇄個人ではライトなコミュニケーションでも良かったのですが、これが個人⇄企業アカウントとなると少し話が変わってきます。

浅薄なコミュニケーションは逆にユーザーに伝わりにくい可能性が高く、個人的苦痛でよかった共感レベルが少なくとも「共感的関心」まで求められるでしょう。

さらにエンドユーザーに「神対応!」などと感激されたいのであれば「視点取得」も必要不可欠になると思います。

ただし、「ファンタジー」までになると「てめえの考え」感が強くなってしまうので、ここまで深い共感は行わないでとどめたほうが良いという個人的見解です。

企業アカウント⇄企業アカウント

企業アカウントとエンドユーザーでは、「共感的関心」から「視点取得」の範囲と言いましたが、企業アカウント間では逆にもう少しライトなコミュニケーションが許されます。

むしろ、シャープとタニタの関係性を見れば分かるように、逆に「個人的同情」レベルのライトな共感の方がそれを見ている観衆にはウケがよいように思われます。

ただし、たまには「視点取得」や「ファンタジー」レベルの共感も必要です。これはむしろ、なにかキャンペーンを行うときなどの"謀"しているときに求められるかもしれません。

企業アカウント⇄不特定多数

企業アカウントのツイートがバズるとき、そこにはどんな共感があるのでしょうか。

これについては、正直なところ共感の範疇にはないような気がします。共感ではない、人々の気持ちに入っていくなにか。

これについてはまた次の機会にまとめられればと思います。

おわりに

今回はソーシャルでよく言われる「共感」という言葉を深掘って、心理学の「共感性」の4次元から企業アカウントと個人の各組み合わせについて紐付けて考えてみました。

「お仕事でソーシャルやろうかな」と考えている学生さんや「ソーシャルやってるけど共感ってなんぞ」と思ってる社会人の方に、そして自分に役立つ記事であれば幸いです。

参考文献
登張真稲(2000)多次元的視点に基づく共感性研究の展望』性格心理学研究